
立原道造の物語「手紙」(1933)より。crépuscule はフランス語で「黄昏」の意味。
原文は歴史的仮名遣い。「きれいな黄昏の色である。生徒は、偶然のやうに Crépuscule といふ単語を思ひ出す。二、三度、口に出して呟いてみて、この空の色もこの言葉ほど美しくないと思ふのである。」

※時制について
引用部分は全部現在形になっていますが、物語は過去のこととして語られています。前後を引用してみます。
(歴史的仮名遣い)
生徒は、何も考へてゐない、それがたのしいと思った。それは、生徒が一つことばかり考へてゐたので、さう思つた。先刻から、かうしてゐる時間中、ずつとたつた一つの手紙のことが心を往来してゐるのである。
廊下を人が通るたび、反射的にその方を見た。しかし、別に耳が働いてその音を聞きつけるといふのでもない。窓にある空の一部分が、自然と目にはいつてゐる。何でもない時ふとそれに気づく。きれいな黄昏の色である。生徒は、偶然のやうに Crépuscule といふ単語を思ひ出す。二、三度、口に出して呟いてみて、この空の色もこの言葉ほど美しくないと思ふのである。それから後は、いつの間にか先刻からの考へに帰つて行く。
(現代仮名遣い)
生徒は、何も考えていない、それがたのしいと思った。それは、生徒が一つことばかり考えていたので、そう思った。先刻から、こうしている時間中、ずっとたった一つの手紙のことが心を往来しているのである。
廊下を人が通るたび、反射的にその方を見た。しかし、別に耳が働いてその音を聞きつけるというのでもない。窓にある空の一部分が、自然と目にはいっている。何でもない時ふとそれに気づく。きれいな黄昏の色である。生徒は、偶然のように Crépuscule という単語を思い出す。二、三度、口に出して呟いてみて、この空の色もこの言葉ほど美しくないと思うのである。それから後は、いつの間にか先刻からの考えに帰って行く。
(「先刻」はたぶん「さっき」と読むのではないかと思います。)
日本語では、このように過去の叙述の中に現在形を交ぜるのは、それほど珍しいことではありません。目の前で場面が展開しているかのような印象を与える効果があります。この文章ではかなり意識的に現在形が多用されていますが、それでも特に突飛な感じはしません。
言語によって、このような現在形の使い方が一般的でない場合は、過去の時制で訳してしまってもかまわないと思います。
あと、この箇所だけを訳すのと物語全体を訳すのとで言葉遣いが違ってくるということもあるかもしれません。その辺りの判断は、各訳者さんにお任せします。
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This sentence is original and was not derived from translation.
added by tommy_san, April 4, 2013
linked by an unknown member, November 20, 2024
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