Do people think that this should have an explicit ? question mark?
私の考え:
「学校は近くなの?」=「学校は近くなのですか。」(書き言葉)=「学校は近くなのですか?」(話し言葉)
「学校は近くなの。」=「学校は近くなのです。」
話し言葉では、「...なの?」と「...なの。」とは、その意味が異なります。イントネーションの違いのため。
しかし、書き言葉では、日本語は「?」を正式に持っていません。これは日本語の書き言葉の欠点です。
> 書き言葉では、日本語は「?」を正式に持っていません。
そうなんですか? 「正式に」とはどういうことでしょうか?
私の認識に誤りがあったら、ごめんなさい。
学校の教科書、学校での国語や作文の授業、新聞、公文書、儀礼的な手紙の文など、正式な文章では疑問符や感嘆符がほぼ用いられていないと思います。
しかし、大衆文学や雑誌や広告のキャッチコピー、私的な手紙などでは、疑問符や感嘆符が多用されていますね。主として「」付きの会話文の中で疑問符や感嘆符が用いられることは、慣用的に定まってきているとは思います。
ですが、正式に使用法が確定しているわけでもないと思いますので、インターネット上ではもっと自由な使われ方をしていますね。「ですよ?」みたいな。
これは私の考えですが、終助詞の「か」でさえも疑問を必ずしも表さないですね。「そうですか。」は質問や疑いの意味であるとは限りません。文脈とイントネーションしだいです。ですから、本当は、終助詞の「か」にも疑問符を付けて疑問形であることを明確にすべきなのですが。
Tatoebaの例文には文脈がないので翻訳が難しい場合がありますね。
検定教科書や日本語の教科書に(どういうわけか)「?」や「!」を避けるものがあることは認識しております。
改まった手紙などでも確かに避ける傾向はありますね。ただそういった場面では「~の?」などという疑問文は出てこないでしょう。
新聞では使われていますよ。今朝の朝日新聞にも〈青年は「なぜ? 僕は不幸じゃない」と問いかける。〉というのがありました。
あとは文学の世界では明治時代から使われています。有名な作家の例を2つ挙げておきましょう。
尾崎紅葉『青葡萄』(明治29年)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/885255/6
夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』(明治40年)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/888727/32
こうした事実をふまえて、個人的には「?」と「!」は十分に市民権を得ているものと判断して、Tatoebaでも使っていますし、それが正式でないというような但し書きも必要ないと考えています。また逆に疑問文ならば「?」を使うべきだとも思いません。
ちなみにこの文を含めてTatoebaの日本語の例文の多くは田中コーパスというのから来ているのですが、この田中コーパスにおいて「?」が一括で「。」に置き換えられたという経緯があります。どちらでも構わない場合がほとんどですが、この文のように「の」で終わる場合などは「?」の方がいい気はします。
この文に関していえば、mookeeeさんが良いと判断して「所有」されている文ですので、このままにしておくのがいいのではないかと思います。「コーパス整備員」の権限で変更することはできるのですが、どうしても直すべき間違いというほどではないでしょう。
おっしゃるとおりなのですが、「デビー、学校は近くなの。」という日本語の文だけを外国語の訳文無しで見た場合、日本語のネイティブスピーカーの大半は、おそらく、尻下がりのイントネーションで朗読すると思いましたので、その点だけコメントを残しておいたほうがよいかもしれないとも思いまして。
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linked by JnRouvignac, July 21, 2010